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第一章 胎動編(001)

タイフーンの朝

「マリュウ… マリュウ…」
夢の中のマリュウは 遠い呼びかけを耳にしていた。
「マリュウ… もう そろそろ 起きないとね…  マリュウ…」
祖母サテイエの声が 現実のものとなってマリュウの五感を徐々に目覚めさせた。
「はっ…!」
「昨日のオリエンテーリングが よほど疲れたんだねぇ。よく寝たね… おはよう。」

確実に目覚めた頃には、外に降りしきる雨の音と
時折、窓を叩く風の音が 煩く感じるようになっていた。

「お、おはよっ、おばあちゃん。 今、何時!?」
「7時半だよ。さっき警報が出て、今日はスクールもお休みだよ。」
「えっ!? もう、そんな時間?? じゃ、セエイは!?」
「セエイなら、いつものように3時半に起きて 魚河岸に行ったよ。」
「おばあちゃん、なんで その時に起こしてくれなかったんだっ!?」
「いつもなら、起こさないでも勝手に起きるお前が起きれなかったんだ。
 かなり疲れていると思ってねぇ。セエイと相談して 今日は起こさないでおこうって…。」

確かにマリュウは 疲れてはいたが、無理をしてでも起きたかった理由があった。

今年20歳になるセエイは、祖母サテイエの末っ子である。
マリュウはサテイエの長男ツエルの息子で まもなく8歳になろうとしている。
12歳年齢差のあるマリュウとセエイは 実際に叔父と甥の関係ではあったが
祖母サテイエの許で 兄弟のように育てられた。

スクールに通いながらも 家計を補うために魚屋で働いていたセエイ。
やがて その功労は 国にも認められ、大臣から栄誉たる賞までも授かっていた。
そんなセエイを見習うかのように、早朝から魚河岸での仕入れ業務の手伝いを
スクールへ登校するまでの 僅かな時間ではあったが
マリュウは 2年間一日も休まずに続けていたのである。
ただ、手伝いとは言っても 幼い少年に出来ることは あまりなく
仕入れた小さな魚を氷と共にケースに詰めたり、数を数えたりだった。

「ちえっ! これまで皆勤賞だったのに… おばあちゃん、酷いや!」
「そんなに ばあちゃんは酷いかい?」と、サテイエは静かに答えた。
マリュウは 黙って もう一度 布団に潜り込んだ。
そんなマリュウを見ながら、サテイエは静かに話しかけた。
「マリュウ… ほんとはね。ばあちゃん、今日は おまえと一緒に居たかったんだよ。」
その言葉に マリュウは咄嗟に布団から顔を出し サテイエに問いかける。
「なぜ? どうしたの? なんかあったの??」
「いいや、どうも この雨だろ… なんか 不安で心細くなっちゃってね。」
「洪水を心配しているの?」
「ああ。…今回のタイフーンは ここ数年で最も強力だって言うしね。」

気丈なサテイエにしては かなり弱気な発言のように マリュウは思った。
こういった気象の脅威に対しても、いつも敢然と乗り越えてきたサテイエだからこそ
無理も言えたし、多少の我儘も許された。

「朝から、市長のサモリ自らが、なるべく早い時間に避難するように勧告していたよ。
 サモリも 数年前の大洪水の光景が 頭に焼きついて離れないのかもね…
 大勢 死んだからねぇ…。」

マリュウの住むカフチシティは 大昔からタイフーン災害の多い地であった。
ひとたびタイフーンが襲来すれば、たちまち川の水位は上昇し 低い堤防は決壊する。

「今年も堤防を高くすることができなかったんだ。
 市の予算の殆どが ネオカフチの方に使われてしまうからね。」

カフチシティは首都から遥か西に位置し、南には海が広がるが 北側には険しい山脈が連なる。
首都へ向かうには航路か 或いは険しい山々を越えなければ辿り着けない。
そんな風土の中、人々の心の中には 一種の閉鎖感のようなものも 多少は存在していたが、
逆に この雄大な自然は、そこに住む人々の性格を大きく明るいものにも育てていた。

「人々は皆 ネオカフチに新しいものを求めて移住していく…。
 あたしたちも、長く住み慣れた ここを離れるのは残念だけど、そろそろかもね。」
「引越するの?」
「ああ、そのつもりで 考えておかないといけないね。
 来月には ツエルが帰ってくる。その時に相談して決めようと思っているよ。」

マリュウの父親ツエルは、現在 首都へ出稼ぎに行っている。
農業や漁業、商店などに従事する以外のカフチシティの男たちの大半は首都で働く。
だが、ネオカフチの誕生で、出稼ぎすることなく充分な雇用を確保するというのが
市の政策であったし、それが 最優先の事業でもあった。
カフチシティ自体が 今 大きな変貌を遂げようとしていた。

「あたしたちも そろそろ集会所へ避難しようかね。
 マリュウ… 朝御飯食べ終わったら、なるべく早く準備しなさい。」
「うん。わかった…」
「それにしても、今日の雨と風は きついねぇ…
 傘だけじゃ、集会場に着いたころは ずぶ濡れだね。着替えも持っていかないとね。」

集会場まで 歩いて10分程かかる。
用意を整え、合羽を身にまとったマリュウとサテイエは 玄関先から上空を見上げた。
「おばあちゃん、タイミング良いよ。ちょっと小降りになっているし。」
「そうそう、マリュウと居る時は いつもなんとなく ついているような気がするんだよ。」
笑みを浮かべ、サテイエは言った。
「だから、今日は おまえと一緒に居たくて、
 わざと魚河岸に行かせなかったのかも知れない。」
「えっ? わざとなの!?」
「ふふ… そんなことはないさ、冗談だよ。
 でも、おまえと一緒だと ほんとに心強いね。最近は特に そう思うよ。」

家の門を閉めて、かなり小雨に変わった中、二人は集会所に向かって歩き始めた。

「今朝方 眠っている時、珍しく寝言を言ってたね。」
「え? 寝言なんか言ってた? 変なこととか言ってなかった?」
「ふふふ…。でもね、よく聞こえなかったよ。
 ただね、すごく真面目な顔で ぶつぶつ言ってたよ。」
「真面目な顔して ぶつぶつって、なーんか 気持ち悪いじゃん。」
「どんな夢を見ていたんだい?」
「夢は… う~ん… …少し覚えているけど、不思議な夢だったよ。
 森の中から光りが射していて、そっちに歩いて行ったら…
 女の人の声で…  たしか… アース…クラス…って 何度も聞こえるんだ。
 僕は… 違うよ、僕はマリュウだよって返事したの。
 でも、また アースクラスって何度も聞こえて…。」
「…たしかに アースクラスって言ったのかい?」
サテイエは静かに驚いた表情を見せた。
「うん。」
「…不思議だね。。。」
「どうしたの?」
「あたしも おまえと同じ夢を何度も見ているからさ。」

そのサテイエの言ったことは、マリュウが 生まれて初めて受ける衝撃だった。
アースクラスとは 何を意味しているのか?
なぜ、サテイエも同じ夢を見るのか?

雨が また 激しく降り始めた。
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