美しく華やかなSNSを ご一緒に
- 31, 2015 23:05
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運送業界という別世界で21世紀初頭を迎えました。
三田の山間の地を拠点に全国を駆け巡るトラック運転手という職ではあったものの
ネットにつなげる唯一の手段として肌身離さず持ち続けた携帯からの掲示板投稿を
決して欠かさずにいた5年間は 今はもう夢のような日々。
そして デザイン業界に復帰した2006年から2008年頃までは
ブログとmixiと共に過ごす毎日が続き
YouTubeに関しても その頃から記事に貼り付けたりしていました。
動画作成も 今よりは はるかに低機能なソフトをうまく使って
当時 決して他と比べて見劣りしないレベルの動画を
投稿していたように記憶しております。
そして、Twitterには2010年2月に登録、同年10月にはFacebookに登録。
なのに このSNSの世界には 今日まで出遅れた感が非常に強くありました。
それはなぜなのか…??
「ソーシャルリクルーティング元年」と言われた あの2011年。
僕は 再び三田の山に帰って運送会社で事務の仕事をしていたのです。
そこでは 事務所内でネットは繋がっていたものの
肝心のiPhoneを使うのに一番大切なソフトバンクの電波が一切届かない環境でした。
現在のように「なう投稿」すら できない状況だったのです。
加えて、明石から往復4時間もかけて三田まで通勤していたのもあって
結果、仕事一本やりという状況から 次第次第に抜け出せなくなってしまいました。
あの東北の震災の時も 自分の思いを発信することもなく…
そして 各地で 頻繁に開催され始めたSNSセミナーにも
それに関連した集まりにも 一切参加することもなく…
休日にだけは なんとか 本来のネットを堪能し
その際に 平日には満足に出来なかったことを
自分の遅れを取り戻そうという思いからか 必死でやっていました。
そんな時に とあるFacebookのイベントページでひときわ目を引いたのは
Twitterフォロワー数 10万人超 Facebook友達 5000人 という
ウエストデータプロ代表取締役 長沼実侑紀という人物の名でした。
ソーシャルメディアの先駆者の長沼さんのタイムラインでの
「Facebookは規定数オーバーのため現在新たな友達申請は受付できません」
というコメントが さらに 強烈すぎたのもあって
僕の中で「長沼実侑紀はスターだ」という印象を確固たるものにしていったのです。
やがて 古巣の運送会社での一年の再雇用期間が終わり
それから いろいろとありましたが
もう一度 自分自身でデザインの仕事をやろうと再び開業の道を選びました。
江井島広告制作開業の前日のゴールデンウイーク最後の2011年5月6日
Facebookで超有名な 垂水の酒肴屋くやすけさんで
Facebook友達が集まっての飲み会が開催されたのですが
主催者である友人の藤井氏が連れて来てくださった人が
なんと 長沼実侑紀 その人であったのです。
自分にとっての 大スターに会えたわけですから 僕は有頂天でした。
さらに、規定オーバーであるはずのFacebookの友達になってくださった時は
言い表せないほどの気持ちの高ぶりでした。
今年2015年5月7日に ふれんどらいんを運営する江井島広告制作は
開業から丸3年を迎えます。
この三年間は出遅れた自分を、考えている位置まで少しでも近づけるために
今までの人生の中で一番いろいろなことに挑戦し続けた日々でありました。
同時に挫折も何度も何度も経験しました。
SNSでは出遅れただけに
ビジネスだはなく ソーシャルメディアを一貫して楽しくという思いを
執拗に持ち続けた結果
実際に集客のできるセミナーや その講師たちに対しては
どうしても抑えきれない嫉妬の念を多く抱いたりもしました。
でも、 僕は開業してからの三年間、本当にいろいろと ありましたけれど
このたび 長沼さんにふれんどらいんでのセミナーを依頼した結果
快く引き受けてくださったこと
今はもう これ以上の喜びはありません。
つづく… (・o・)
三田の山間の地を拠点に全国を駆け巡るトラック運転手という職ではあったものの
ネットにつなげる唯一の手段として肌身離さず持ち続けた携帯からの掲示板投稿を
決して欠かさずにいた5年間は 今はもう夢のような日々。
そして デザイン業界に復帰した2006年から2008年頃までは
ブログとmixiと共に過ごす毎日が続き
YouTubeに関しても その頃から記事に貼り付けたりしていました。
動画作成も 今よりは はるかに低機能なソフトをうまく使って
当時 決して他と比べて見劣りしないレベルの動画を
投稿していたように記憶しております。
そして、Twitterには2010年2月に登録、同年10月にはFacebookに登録。
なのに このSNSの世界には 今日まで出遅れた感が非常に強くありました。
それはなぜなのか…??
「ソーシャルリクルーティング元年」と言われた あの2011年。
僕は 再び三田の山に帰って運送会社で事務の仕事をしていたのです。
そこでは 事務所内でネットは繋がっていたものの
肝心のiPhoneを使うのに一番大切なソフトバンクの電波が一切届かない環境でした。
現在のように「なう投稿」すら できない状況だったのです。
加えて、明石から往復4時間もかけて三田まで通勤していたのもあって
結果、仕事一本やりという状況から 次第次第に抜け出せなくなってしまいました。
あの東北の震災の時も 自分の思いを発信することもなく…
そして 各地で 頻繁に開催され始めたSNSセミナーにも
それに関連した集まりにも 一切参加することもなく…
休日にだけは なんとか 本来のネットを堪能し
その際に 平日には満足に出来なかったことを
自分の遅れを取り戻そうという思いからか 必死でやっていました。
そんな時に とあるFacebookのイベントページでひときわ目を引いたのは
Twitterフォロワー数 10万人超 Facebook友達 5000人 という
ウエストデータプロ代表取締役 長沼実侑紀という人物の名でした。
ソーシャルメディアの先駆者の長沼さんのタイムラインでの
「Facebookは規定数オーバーのため現在新たな友達申請は受付できません」
というコメントが さらに 強烈すぎたのもあって
僕の中で「長沼実侑紀はスターだ」という印象を確固たるものにしていったのです。
やがて 古巣の運送会社での一年の再雇用期間が終わり
それから いろいろとありましたが
もう一度 自分自身でデザインの仕事をやろうと再び開業の道を選びました。
江井島広告制作開業の前日のゴールデンウイーク最後の2011年5月6日
Facebookで超有名な 垂水の酒肴屋くやすけさんで
Facebook友達が集まっての飲み会が開催されたのですが
主催者である友人の藤井氏が連れて来てくださった人が
なんと 長沼実侑紀 その人であったのです。
自分にとっての 大スターに会えたわけですから 僕は有頂天でした。
さらに、規定オーバーであるはずのFacebookの友達になってくださった時は
言い表せないほどの気持ちの高ぶりでした。
今年2015年5月7日に ふれんどらいんを運営する江井島広告制作は
開業から丸3年を迎えます。
この三年間は出遅れた自分を、考えている位置まで少しでも近づけるために
今までの人生の中で一番いろいろなことに挑戦し続けた日々でありました。
同時に挫折も何度も何度も経験しました。
SNSでは出遅れただけに
ビジネスだはなく ソーシャルメディアを一貫して楽しくという思いを
執拗に持ち続けた結果
実際に集客のできるセミナーや その講師たちに対しては
どうしても抑えきれない嫉妬の念を多く抱いたりもしました。
でも、 僕は開業してからの三年間、本当にいろいろと ありましたけれど
このたび 長沼さんにふれんどらいんでのセミナーを依頼した結果
快く引き受けてくださったこと
今はもう これ以上の喜びはありません。
つづく… (・o・)
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