まだまだ続く、特記『播磨と我が故郷高知との歴史的繋がり』 その 第三話…
1月18日は植物学者牧野富太郎博士の命日です。
◆1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)
◆土佐国佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)出身
没後50年を既に経過し、当時の牧野富太郎博士をご存知の方は少なくはなりましたが
高知出身の僕らにとっては、やはり牧野富太郎博士は郷土の偉人として
坂本龍馬らと同じく、今でも ずっと尊敬している人物の一人です。
…とは言っても、牧野博士の伝記に初めてふれた小学生当時は
野口英世や昆虫記のファーブルなどと人物像が重なってしまい
どんな人だか よくわからなかったというのが正直なところですが…(ーoー;)。
1954年(昭和29年)に兵庫県の「県花」に指定され、
2006年(平成18年)に開催された「のじぎく兵庫国体」の名称の由来となったノジギク(野路菊)。
記録によれば、その発見は意外に遅く、牧野富太郎博士が1884年(明治17年)11月に
生まれ故郷の高知県吾川郡吾川村川口の仁淀川沿いの路傍で発見し、命名したそうです。
それから時を経た1925年(大正14年)に
牧野博士は 現在の姫路市大塩に来て ノジギクの大群落を発見しました。
以来、大塩の地名は日本一の群落地として全国に知られ有名になったとのこと…。
☆野路菊の花・姫路のじぎくの里/姫路市大塩(神戸観光壁紙写真集)
ノジギクは 僕にとっても 縁のある花 …なのかもしれません。
実は、ノジギクが発見された高知県吾川郡吾川村というのは
現在の高知県吾川郡仁淀川町であり、そこは僕の親の郷里です。
(※ブログ小説新説【宇宙神話】EARTH CLASS 煌で仁淀川がモデルのドヨニリバーが氾濫!)
☆野路菊の花・姫路のじぎくの里/姫路市大塩(神戸観光壁紙写真集)
戦後、塩田閉鎖と田畑荒廃で大塩のノジギクは雑草に飲み込まれて 一度は消えてしまいました。
しかし、大塩の人々が当時の姿を取り戻そうと町民運動を展開した結果、見事 甦ったといいます。
☆黄花野路菊(キバナノジギク)の花・姫路のじぎくの里/姫路市大塩(神戸観光壁紙写真集)
この播磨の地に ノジギクの『日本一の大群落』が、ずっと存在し続けているのは嬉しいことです。
『日本一の大群落』を まだ目にしたことはありませんし
それに、年が明けたばかりで 見頃の11月下旬は まだまだ先ですけれど
このブログ記事を書くにあたり いろいろと調べていくうちに ノジギクへの想いは募るばかりです。
風に呼ばれた小さな花びらは 何処かへ飛んで行ってしまいそう…
でも、いつまでも この兵庫播磨の地で 咲き続けてほしいという思いからでしょうか
『野路(のみち)きっこ』は、見守るように ずっと『てんこもりん』の傍にいるのですね。
☆YouTube
科学映像館 WILD PLANTS OF JAPAN Chrsathemum japonense(ノジギク)
⇒山は楽しい!:のじぎく(てんこもりブロガー【もーさん】のブログです)
⇒神戸観光壁紙写真集[写真,壁紙,素材,兵庫県神戸市観光情報観光ガイド]
⇒兵庫県の県花「野路菊(のじぎく)」 - ぞえぞえねっと
⇒大塩の紹介(みやけ内科・循環器科ホームページより)
⇒姫路の貴重な自然について(姫路市 [HOME]より)
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⇒ノジギク - Wikipedia
⇒牧野富太郎 - Wikipedia
⇒高知県立牧野植物園
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